• Tuoretta leipää. Kuva: Helsingin matkailutoimisto/Kimmo Brandt
  • Alkupala Lasipalatsissa. Kuva: Ampeeri Filmi/Sampsa Parnanen
  • Kattila ravintolamaailma. Kuva: Linnanmäen kuvapankki
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食文化の歴史

ヘルシンキのレストラン文化の発展は、そのままフィンランドの食文化の発展につながっています。若き首都のレストランライフは、1800年代の初頭から少しずつ発達してきました。市役所の地下やトゥーロ地区のレストランに街の人々が繰り出していったのです。まもなくヘルシンキには外国からのスパを楽しむ人々が現れてきました。カイヴォフオネ(Kaivohuone)では昼間は健康水が飲まれ、夜にはシャンペンが開けられていました。大学生たちはカイサニエミに出かけ、観光客はエスプラナーディ通り(Esplanadi)のカッペリ(Kappeli)で食事を楽しみました。

19世紀の終わり社交界が家庭内からレストランへと移行

国が豊かになり経済活動が多様化してくると、通勤距離が長くなり昼食を家で食べずに職場近くにある簡易食堂で食べる人々が増えてくるようになりました。

カンプ(Kämp)、セウラフオネ(Seurahuone)、フェンニア( Fennia)などのホテルでは、世紀の移り変わりの時期、豪華なディナーが楽しまれるようになります。しかし、男性の同伴がなければ女性はそのような場に参加することは許されませんでした。1919年~1932年の間は禁酒令のためレストランは厳しい時期を迎えましたが、禁酒令にもかかわらずアルコールの販売は密かに続いていたのです。禁酒令が解けると、カクテルと共にオーケストラの響きに合わせてまたダンスが楽しまれるようになりました。この時期、様々な嗜好に合わせた新しいレストランがヘルシンキに出現してきます。しかし、戦争がその発展を妨げ、1940年代は食糧不足がレストランを悩ませたのでした。

戦後の首都の繁栄と国際化

レストランに行く習慣が復興し、お客が増えてくると食堂、バー、グリルレストランなどが出現してきました。1970年代に入ると、ピザハウス、エスニックレストランが新しい味覚を運んできました。やがてフィンランドのレストランに対する国際的評価も上がり、1987年にはフィンランド初のミシュラン星がつくことになります。高級ダイニングがヘルシンキのレストラン文化に根を下ろし始めたのです。

200年の間に多様な発展を遂げたレストランの街、ヘルシンキ

2000年代になり、ヘルシンキにはシェフの名前に魅かれて人が集まるというレストランが多くなってきました。それまでのフランス料理志向から北欧の素材を生かした料理に変わってきてもいます。

地元のシェフたちの協力によるヘルシンキメニュー(HelsinkiMenu)は、年々地元食材を奨励するようになってきています。レストランが先頭を切り、誰もが地元の食材を手にすることができるようになってきました。

ヘルシンキそしてフィンランドは自分たちの食文化を見出したのです。